重松 清

「卒業」 重松 清 著

<あらすじ>

悲しみをそっと空に放つための四編――旅立ちのときが、やってきた。

「わたしの父親ってどんなひとだったんですか」ある日突然、

十四年前に自ら命を絶った親友の娘が僕を訪ねてきた。

中学生の彼女もまた、生と死を巡る深刻な悩みを抱えていた。

僕は彼女を死から引き離そうと、亡き親友との青春時代の思い出を語り始めたのだが――。

悲しみを乗り越え、新たな旅立ちを迎えるために、

それぞれの「卒業」を経験する家族を描いた四編。

 

<感想>

重松作品読破10冊目。毎回言うけど、ほんとうに上手い。

4編ともに凝った話ではなく、現実にあるかもなぁと思う話なのに、

先を読みたくなるように組み立てられていて、ツボを得たように心にぐっとくるシーンへと繋がる。

重松氏と私の年代が一緒だから彼の描く主人公が男であってもどこか共感できるし、

子供の頃の時代背景・流行ったものが同じだから懐かしくなる。それもツボだったりする。

まさに五感に働きかけてくるような作品。

4編について少しコメント

◆「まゆみのマーチ」

親の死と直面することが遠からずある年代であり、思春期のむずかしい子供を持つ親として

主人公のいる状況は今の自分とリンクする。

親としてできることの最大で最低限のことは、子供に「愛している」と言い、伝えることなのかも知れない。

私もそう思って子育てをしているけれど、それが間違いではないと思わせてくれた。

まゆみがそれで救われたように。

◆「あおげば尊し」

私の父親は教師である。小説の中に出てくるような厳しくて、冷たくて、容赦なく退学処分にするような教師だった。

かぶる部分がありすぎて、少し辛かった。

いつか父親を見送る時がくる。尊敬できる部分も、ありえないと思う部分もある父だけど、

感謝の気持ちだけは伝えておこうと思った。

ちなみにこの作品は市川準監督がテリー伊藤を息子役とし映画化している。

◆「卒業」

自殺願望を持っているフツーの中高生の何かを少し見たような気持ちになった。

私はソレで悩んだことはないが、「自分のルーツ」と言うのはアイデンティティーを確立するのに

重要であると聴く。

わだかまっている何かと対峙し人はそれを越えていくんだなと思った作品。

◆「追伸」

それぞれの思いが伝わる話だった。

誰も間違ってはいないけど、誰もが人を思いやれる余裕がない。

それが人との関係を悪い方向へと進めていくんだなっと。

人が「死」を迎える前に、言うべきことは伝えておかないと。そう思った

 

「みぞれ」 重松 清 著

<あらすじ>

あなたに似た人が、ここにいるー。

幼なじみの少女が自殺未遂、戸惑いながら「死」と向き合う高校1年の少年。「拝啓ノストラダムス様」

結婚7年目、セッカチな夫に最近ウンザリしてきた妻。「電光セッカチ」

子供がいないとつい言えなくて一芝居うつ羽目に陥った夫婦。「石の女」どちらががリストラされる岐路に立たされた40歳の同期社員。「メグちゃん危機一髪」晩年を迎えた父に、複雑な思いを抱く43歳の息子・・・。「みぞれ」ひたむきな人生を、暖かなまなざしでとらえた11の物語。

 

<感想>

短編11作からなる「みぞれ」。

ほんと、悔しいけどすんなり読めてじんわり心に染み入るものがあります。特に印象に残ったのは「電光セッカチ」、「遅霜のおりた朝」、「石の女」の3編。

家族のこと、父親との関係、悪気はないのに傷つける人の言葉や行動・・・どれも日常のどこにでもある一部を描いたような小説でした。

 

「くちぶえ番長」 重松 清 著

<あらすじ>

小学四年生のツヨシのクラスに、一輪車とくちぶえの上手な女の子、マコトがやってきた。

転校早々「わたし、この学校の番長になる!」と宣言したマコトに、みんなはびっくり。

でも、小さい頃にお父さんを亡くしたマコトは、誰よりも強く、優しく、友だち思いで、

頼りになるやつだったんだ―。

サイコーの相棒になったマコトとツヨシが駆け抜けた1年間の、

決して忘れられない友情物語。

 

<感想>

上手いなぁ重松清さん。なんでこんな小説がかけるんだろう。

重松氏と同世代の話を書いても、忘れてしまった幼い頃の事を書かせても、

小説の中にかならず心を掴まれる部分がある。

それが重松清の魅力なんだろう。

子供向け小説かも知れないけれど、大人も十分に味わえる。

この小説の時代は、私が幼かった30年代後半~40年代。

読んでいる内にあの頃の町の匂いを思い出した。

小説の中には、重松氏が現在(いま)を生きる子供たちに伝えたいメッセージが

いっぱい詰まっている。

「友情って?」「強さと優しさって?」「愛するものの死」「その死をどう理解して生きていくのか」

どれもこれも私の子供にも伝えたいことと一緒だ。

重松氏の温かな、強いメッセージに胸がいっぱいになった。

小説としてはキレイごとばかりな印象もあるけれど、子供たちに伝えたいのは

小狡い部分なんかじゃない。素直に読みたい1冊。

 

「哀愁的東京」 重松 清 著

<あらすじ>

進藤宏。40歳。新作が描けなくなった絵本作家。

フリーライターの仕事で生計を立てる進藤は、さまざまなひとに出会う。

破滅の時を目前にした起業家、閉園する遊園地のピエロ、

人気のピークを過ぎたアイドル歌手、生の実感をなくしたエリート社員…。進藤はスケッチをつづける。時が流れることの哀しみを噛みしめ、東京という街が織りなすドラマを見つめて―。

「今日」の哀しさから始まる「明日」の光を描く連作長編。

 

<感想>

進藤が出会う人々は皆、栄光の時があった人たち。

しかし今は絶頂期を越え、下り坂にいる。

もう2度と表舞台に立てないだろう人、状況が好転することはないだろう人、人生の終焉が迫っている人もいる。

それでも人は現在(いま)を生きていかなければならないんだと言う事を思い知らされた小説だった。

最も印象的だったのは、表題作である「哀愁的東京」。

妻との長い別居生活の末、離婚することになった進藤が、娘との会話の方法として中国的表現でホンネを語り合うシーンは心に滲みた。

ただ、私はこの作品をあまり好きではない。

それは、進藤氏が書いた絵本「パパと一緒に」が毎回出てくる事にある。

パーツとしての意図はわかるが、それが逆にウザかったからだ。

 

「見張り塔からずっと」 重松 清 著

<あらすじ>

発展の望みを絶たれ、憂鬱なムードの漂うニュータウンに暮らす一家がいる(「カラス」)。1歳の息子を突然失い、空虚を抱える夫婦がいる(「扉を開けて」)。18歳で結婚したが、夫にも義母にもまともに扱ってもらえない若妻がいる(「陽だまりの猫」)。3組の家族、ひとりひとりの理想が、現実に浸食される。だが、どんなにそれが重くとも、目を逸らさずに生きる。僕たちの物語―。3編。

 

<感想>

重松作品5作目に選んだのはコレ。短編集だが重松作品にはハズレない。ありふれた日常の話の中の見えていない残酷な、非情なものの正体をあらわに見せる筆圧には尊敬し、感動する。

「カラス」

大人社会の「いじめ」を浮き彫りにした作品。

人はここまで残酷になるんだと読んでいて苦しくなった。私ならそこから逃げるだろう。逃げることは負けではない。学校のいじめ問題と同じように。

「扉を開けて」

愛する息子を失う気持ちはどれほどツライものか。

主人公の妻・佐和子が精神のバランスを崩してしまうことを誰も責めることはできないだろう。しかし、大切なものを失っても人は生きていかなければならない。生きていくと言うことは永遠に失った子供を思い続けることなのだろうか・・・?日常を楽しんだり、笑ったりすることは失った子供を弔うことにはならないのだろうか?生きていくことの苦しさを読んだ。

曖昧に見せて終わるラスト・・・それで良かったように思う。

「陽だまりの猫」

多分、どこにもある夫婦の形だと思う。

伸雄さんもみどりさんも根底では互いのことを思い合っているけれど、

目の前の相手の行動のひとつひとつにイラだつのだ。結婚するまでは、そこが「好きなひとつ」だったのに。それが日常。どちらも悪くないし、どちらも少し思いやりや変わろうという努力がないのだろう。ほんの少しの変化がとてもむずかしく簡単でないのだ。

読み終えて、結局・・・このふたりは離婚を選びはしないだろうと思った。

 

「流星ワゴン」 重松 清 著

<あらすじ>

死んじゃってもいいかなあ、もう…。38歳・秋。

その夜、僕は5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして──自分と同い歳の父親に出逢った。

時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。

やり直しは、叶えられるのか──?

 

<感想>

幽霊の親子がホンダのオデッセイを運転する。なんの目的で?

「死にたい」と願っている人をその現状を作ってしまった分かれ目、岐路に連れて行き真実を見せるために。その場所は、「この時が岐路だったの?」と思うような瞬間であるり、それはとてもツライ過去でもあるだが。

ファンタジーのようでとても現実的な小説だった。

作家が男性であることから視点が私とは少し違うけれど、主人公が仲違いし決裂してしまった末期癌の父親と遡った時の中で同年輩同士として出会い直し、互いのコトを理解していく部分は心にグッと来た。

ファンタジーと言い切れないのは「めでたし」では終わらないから。

過去に戻り、岐路を知っても現実は変わらない。

変わらないけれど、幽霊親子との出会い、恨みさえしていた父親との出会いによって、気持ちに変化が現れる。

私に評価は中の上。

文章は相変わらず上手いが「疾走」と「ビタミンF」の方が好きだ。

 

「その日のまえに」 重松 清 著

<本帯より>

昨日までの暮らしが、明日からも続くはずだった。それを不意に断ち切る、愛するひとの死―。

生と死と、幸せの意味を見つめる最新連作短編集。

世の中にこんなにたくさんひとがいて、こんなにたくさん家族があるのに、どうして和美―だったんだ?どうして、我が家―だったんだ?悔しい。悲しい。僕は子供達の方に両手をかけたまま強くまばたいて、まぶたに溜まった涙を外に絞り出した。涙よ、邪魔するな。僕は自分の妻を、もっと、ずっと、見つめていたいのだ。

 

<感想>

「死」に直面してしまった人たちの7つの短編集。「死」がテーマなので泣かせようとしてる小説と思うかも知れないが違う。文章はむしろ淡々と事実だけを語っている。本人が、家族が、友人が、「死」をそれぞれの立場で受け入れようとする真摯な姿に、ふっと語る言葉にぐぐっと来てしまう。

小学時代、海で行方不明になった友を「死と直面した今」思い出し、思い出の地に赴く「潮騒」。

母親が息子の事を心配し、息子が母を思う「ヒア・カムズ・ザ・サン」。

夫、幼い息子たち、父親、それぞれが受け止める「妻・母・娘」の死を描いた「その日」には自然と涙してしまった。

 

「疾走」 重松 清 著

<あらすじ>

広大な干拓地と水平線が広がる町に暮らすシュウジは、寡黙な父と気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の四人家族だった。教会に顔を出しながら陸上に励むシュウジ。

が、町に一大リゾートの開発計画が持ち上がり、優秀だったはずの兄が犯したある犯罪をきっかけに、シュウジ一家はたちまち苦難の道へと追い込まれる・・・。

誰か一緒に生きてください―。犯罪者の弟としてクラスで孤立を深め、やがて一家離散の憂き目に遭ったシュウジは故郷を出て、ひとり東京へ向かうことを決意。途中に立ち寄った大阪で地獄のようなときを過ごす。孤独、祈り、暴力、セックス、聖書、殺人―。人とつながりたい・・・。ただそれだけを胸に煉獄の道のりを懸命に走り続けた少年の軌跡。

 

<感想>

上下巻の文庫本。4日で読んだ。

重くてツライ小説だったが読み終えて心に重いモノが残りつつもどこかで爽快感のような、安心感のような・・(もう痛いこともつらいこともないよね、シュウジ)っと言ってやりたいような心境になっている。

この小説は、進め方がとても上手い。

主人公:シュウジの視点で描かれながらも「おまえ」と言う第3者の目で話が進むのが不思議で最初は違和感もあったが、結果的にそれが良かったしその効果をラストで知ることになる。また、聖書からの引用文が多く出てくるがそれが効果的だった。過去に遠藤周作の「沈黙」や貫井徳郎の「神のふたつの貌」などキリストの教えが出てくる小説を読んだがここまで聖書の言葉に説得力を感じた小説は初めてだった。シュウジがわからないなりにも聖書に救いを、生きる意味を、今の苛烈な状況の意味を求めようとして読む姿が切ない。

今、読み終えて感じている気持ちをどのような言葉にすれば正しく伝わるかわからない。言えることは1つ。私も子を持つ親である。子供は親が守るべき存在で、守れるのは親しかいなくて、子供も親に(他の誰でもなく)愛して欲しくて、親に抱きしめられたいのだと言うこと。

ひとはひとりで生きている。生きてるけどひとりでは生きれない。

 

「ビタミンF」 重松 清 著

2000年 直木賞受賞作品

 

<あらすじ>

38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。40歳、中学1年生の息子としっくりいかない。妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた・・・。一時の輝きを失い、人生の"中途半端"な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。「また、がんばってみるか―」、心の内で、こっそり呟きたくなる短編7編。

 

<感想>

重松清は上手い。読ませるし納得させる。むずかしい比喩や表現を使わず、日常の言葉を使って紡がれる言葉たち。それが根底に流れる優しさを醸し出してるようにも思う。

本書は、けしてきれい事ではない現実。「いじめ」であったり「年齢」であったり「性格」であったり「戻ることのできない過去と現在」だったりを題材にし、あがきようのないそれらをしっかり見せつつ背負いつつ、でもなんとかやっていこうとする人たちを描いている。それはとても辛いのだけれど温かい。 これが現実、でも前に進むしかないんだなと感じさせる7編だった。

重松清漬け、当分続きそう。

 

「青い鳥」 重松 清 著

<本帯より>

そばに、いるんだ。

「ひとりぼっち」になってしまった人へ―。

涙を超えたほんものの感動に出会う<孤独と希望>の物語。

「よかった、間に合った―」

村内先生は中学の臨時講師。

言葉がつっかえて、うまくしゃべれない。

でも、先生は、授業よりもたいせつなことを教えてくれる。

いじめ、自殺、学級崩壊、児童虐待・・・・

すべての孤独な魂にそっと寄り添う感動作。

 

<感想>

静かで温かな重みのある短編8編だった。

8編の中で最初にグッときたのは「おまもり」。

主人公の父が12年前に起こした交通事故。

12年間謝罪しつづけている父を見つめる家族。

けれど、遺族はいまだに父を許していない現実。

人の「死」。人を「傷つけると言うこと」の重みを感じると同時に

運転をすることの責任を改めて感じた。飲酒運転を簡単にしてしまう昨今。

今いちどこの作品を運転をする皆に読んでもらいたい。

表題作の「青い鳥」も力作だ。

ニュースで目にするような悪意、殺意に満ちたいじめではなく、

からかうと「カンベンしてくださいよぉ」「ジゴクっすよぉ」とチャラけて答える

野口くんが面白くて、からかってただけだと皆が言う。

しかし、当人の野口くんはツラくて苦しくて我慢できなくて自殺をする。

村内先生が優しく、静かに温かく導く本当の謝罪、本当の償いと意味が

心を打った。

「カッコウの卵」この短編だけ、村内先生の授業を受け卒業した生徒の話である。

気がつけば涙で文字がにじんだ。

重松清・・・すごいです。

 

「エイジ」 重松 清 著

山本周五郎賞受賞作品

 

<本帯より>

ぼくの名前はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。

その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、

ついに捕まった犯人は、同級生だった―。その日から、何かがわからなくなった。

ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?・・・・・

家族や友だち、好きになった女子への思いに揺れながら成長する少年のリアルな日常。

 

<感想>

2004年度読書感想コンクール課題図書。

中3の息子が読みたいとピックアップした本書を重松清ファンの私も便乗して読破。

自分の中学時代を思い出し、現在中3の息子の気持ちに立ち、主人公エイジの両親の立場になり多角的な視点で読んだ。

「通り魔事件」の犯人が同級生だったと言う事実。

犯罪を犯してしまった同級生と自分とはどこが違うのか?エイジは自問し始める。

そして、自分の内に彼と似た感情「その気」の存在を自覚する。

この感覚、わかると思った。

みんな<危うさ>を持ってる。犯罪を犯してしまいそうな危うさ、人を簡単に傷つけてしまう危うさ、気が振れてしまいそうな危うさを。

「犯罪を犯す」と「踏みとどまる」の境界線が明白でないモヤモヤした不安感を

抱えてしまうのが、14,15,16歳頃なんじゃないかと思う。

エイジが言う「キレる」と言うのは大人が思っているような我慢や辛抱がプッツと切れることを言うんじゃないと。自分にとって大切な繋がりのあるものをわかっていながら突然切りたくなることを言うのではないかと語っている。そうかも知れないと思う。

443ページからなる長編小説。中学生と言う大人の入り口に立った少年の振れたら瞬間にスパークするような一触即発のピリピリした日常が溢れている小説だった。

これを読む14歳の息子は何を思うのだろうか。